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2012.06.26 22:15|ピアノ
昨日練習中に、名前というのはとても便利ではあるけれど、呪いでもあるなと改めて思いました。
例えば、色。
神経学者のR.シトーウィックさん曰く『色の恒常性は、異なる刺激が同じに見えるという錯覚である。』
のだそうです。赤ひとつとっても、たくさんの赤があり、実際はひとつではありません。
でも、それにいちいち名前をつけていたら、かえって認識しにくくなってしまう。
そこで、総してこの辺は「赤」と呼ぶことにしたのですね。
音も同じで、平均律では「ド」は「ド」ですが、音と音の間に実際は境目なんてありません。
限りなくシに近いドや、レ寄りのドなど、無限にあります。
絶対音感があると、音がドレミで聴こえるのですが、それが気をつけないと呪いになり得ると思うのです。
もちろんいい面もたくさんあるのですが。
記譜というのは、12世紀頃から本格的に始まり、それは主に聖歌を後世に伝える為であったのですが、
スタイルが複雑化するにつれて、口伝えだけでは賄いきれなくなり、紙に書くようになりました。
音の名前やリズムという音楽の「表し方」が開発されたわけです。
それを受け取った私達は外側から入って行くので、名前に囚われてしまいがちで、
「この気持ちや思想をこの音(例えばドミソ)で表した」という本質の部分に辿り着きにくい。
黒い箱の中に、全てがしゅっと吸い込まれてしまって、その入れ物しか見えない。
そういう状態が名前の呪いだと思うのです。
頭では分かってはいたはずなのですが…。頭で分かると身体で分かるは大違い。
これまでも場面場面では無意識に「できていた」時もあったはずだけど、「身についていた」ことでなかったのは確かです。自分をカスタマイズ出来る能力をどんどん上げていかないと。
とことん果てがないです。
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