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2012.05.30 23:56|日々のこと
サックス奏者の友人から、遅い誕生日プレゼントが届きました。(ほんまに遅いなー笑)
「ウォーリーを探せ」のポケット版2冊。懐かしい!
なんでコレを選んだのかはよく分からない。でも彼女らしいなぁ。
そうゆう私は彼女の誕生日に、ゲゲゲの鬼太郎の「妖怪だるま」というオブジェをひとつずつ贈り続けています。向こうは鬼太郎に全く興味がなく、若干迷惑そうなのですが。色々経緯がありまして。ヒントは、おととしの演奏会です。来てくれた方はピンとくるかもしれませんねー
お互い好き放題。というか、これは仕返しやな、きっと。
みやん、ありがとう。ウォーリー、目がチッカチカします。
ウォーリー
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2012.05.29 23:53|ピアノ
来週末に、大大大好きなブラームスのクラリネットソナタで本番があります。
某D楽器さんの新人演奏会の伴奏なので、大学卒業したてのフレッシュな才能との共演です。
この曲は約5年前にも本番で弾きましたが、当時の楽譜への書き込みを見ていると、私って本当に迷路の中にいたんやなぁ…としみじみ思います。アレクサンダーテクニックを習っていた頃とも重なっているので、至る所に「inhibition」と書いてあったり、体の保ち方のことだったり、今の自分の感覚からすると全てが断片的すぎて何ひとつ繋がってない。そりゃ弾けないわ…と愕然としつつ、よくここまで諦めずに来たな、と自分のしつこさに感心さえします。まるで無数にあるパズルをかき集めて、組み合わせては合わずにまた外し、また外し、これ!と思って突き進んだ先にあるのが行き止まり…という経験を何千回、何万回としたことか…。言いすぎかもしれないけど、体感としてはそれくらい先の見えない作業だったなぁ。
どんな世界でも、本質というのは、気付いてしまえばびっくりするほど単純なことみたいです。実際私もそれにがっくりきました。そんなこと?というか、できている事と思っていたからです。それを見失ってしまうほどに、物事を分かりにくくさせてしまうリアリティとは何なのか、そこにとても興味があります。自分のしていることと出来ていることの間に乖離があるのは、自分と自分の体との距離感なような気がします。そして、そのギャップが少ないほど生きやすくもある。気付いていたこと(パズルのピース)は何ひとつ間違いじゃなく、どれが欠けても成り立たないわけで、それをどう繋ぐのかが鍵で一番難しい。そしてその方法は、人に教えてもらっても最後の最後には自分の力でしか辿り着けないもの。同じ人間が2人といないように、その人だけのやり方というのが必ずあり、それを探す道は本当の意味での孤独です。
というようなことを、ブラームスの楽譜を読み進めていて今日は思いました。
タイムマシンに乗って、あの頃のぼろぼろの自分に、大丈夫、必ず見つけられると言いに行ってあげたい。
何とかなるはず、と信じて疑わなかった根拠のない光は、現在の私からのエールだったはずです。
同じように未来の自分も今の私にエールを送ってくれてるのかな。心強いな、がんばろっと。

2012.05.28 12:00|ピアノ
昨夜「現代音楽作品の夕べ」が無事終わりました。
立ち見が出る異例の?大盛況。ご来場くださった皆様、本当に有難うございました。
今回は、比較的頭は冷静に、自分の表現したいことを発揮できたように思います。
たくさんの方から、特に作曲の先生方から、よかったよーとお声をかけて頂けて嬉しかったです。
暗譜で弾いたので、とりえずそれだけで称賛の対象のようでした。ちょっと複雑…(^^;)
現代曲になると、暗譜は特に義務付けられていないし、楽譜を見て弾いても誰も文句は言いませんが、
ピアノのように多声部を扱う楽器は、自分の中の音を聴かないと全てを表現しきれない(意識が回らない)のではないかと思います。楽譜を見ていたら視覚に費やす集中力の比率が高くなり、また視覚は五感の中でも強力なので、他に回せる意識が必然的に減ってしまいます。聴こえるはずの音も聴こえなくなる。
間違えないことよりもその方が重大な欠陥のような気がします。またそれこそが「閉じた眼」の世界観だったので、暗譜で弾かないと意味がないように思えました。恐怖心から妥協しなくて本当によかったです。
誰も知らない私だけの小さな誇り。清々しい気分!
クラリネットの古賀っちには最後まで否定され続けたけど。笑
久々にいつもの音楽仲間の皆と色々話して、これから楽しい活動が増えて行きそうです♪
2012.05.24 13:18|日々のこと
最近、よく甥っ子が遊びに来てくれます。
早くももう6ヶ月になりました。本当にかわいく愛おしい存在です。
姉が妊娠中も思いましたが、自分が産まれる前、赤ちゃんの時、周りの大人たちはこんな風に大事に守ってくれてたんやな、と実感し、その度に泣きそうなくらい「ありがとう」の気持ちが増えていきます。
姉は切迫早産で、出産予定の2ヶ月前くらいから絶対安静だったので、比較的仕事の楽な日に家事をしに行き、お惣菜を何品も用意しては届け…どうやってそんなことができたのか今も謎です。
とにかくお腹の子が無事産まれてきてくれたらそれでいい、と必死でした。
そんなことを甥っ子は知ったこっちゃないのがまたいいのです。
私が一生懸命作ったご飯が姉の身体を守り、母乳ができて、それをこどもが飲み、大きくなる。
その想いは知らず知らずにこどもの体に積もっていくものです。
この小さな怪物ががそれに気づくのは、今の私のようにきっと大人になった時でしょう。
私はいないかもしれない。母がもういないように。
でもそうやって愛情は受け継がれていくのですね。母や祖母の愛がまだ私の中で生きているように。
こどもの体には、大人たちの願いや祈りがたくさん詰まっています。
大きくなれよー
shota.jpg
2012.05.21 10:52|日々のこと
小さい頃からずーっと楽しみにしていた2012年の金環日食。しっかり目に焼き付けてきました。
お年玉を貯めて買った小さな望遠鏡で、星空をのぞいていた幼かった私もすっかり大人に。
でも、広い宇宙への畏れや憧れは、ちっとも変わっていません。
時が流れているのか流れていないのか、目の前の川を眺めては不思議な気持ちになりました。
気が遠くなるほど長い宇宙の歴史の中では、全てが一瞬のこと。
でも今確かに生きていて、大好きなこの土地で、心から大切な人と一緒に、太陽が金の輪っかになる瞬間に出会う。人生にはこんな思いがけないプレゼントが用意されているのですね。
河原には、同じように奇跡の瞬間を待つ人たちの、少し興奮したような空気がふわっと漂っていました。
行き場のない感謝の気持ちは、自分でも持て余してしまうから、
隣にいてくれる大切な人が、同じ時代を生きるみんなが、どうか幸せでありますように。
2012.05.11 22:24|音楽
一気に2つUPしちゃいます♪
フルーティストの友人が、昨年結婚した親友の為に書いた曲が、YouTubeに上がりました。
大切な友達を、これまで過ごした時間を愛おしく思う気持ちに溢れています。

『Dear A』
作曲:massann/edit by chang su Koh
演奏:アルトフルート:大升良美/ピアノ:中田百合子 でお送りします♪
2012.05.11 22:08|おでかけ
奈良県吉野のアーティスト村「匠の聚」へ、今年のGWも行ってきました。
いつの間にかすっかり皆さんに仲良くして頂いて、今では人に会いに行く部分が大きく、日本画家さんのアトリエで、造形作家の友人と夜通し語るのが恒例です♪
今年は陶芸をして、後はひたすら絵を描いていました。
イラストとか下手で、ミッキー書いたら「泥棒ねずみ?」て言われたり、絵しりとりでは流れを止めてしまう私…。そんな訳で、自然と絵から遠ざかっていたのですが、久しぶりに絵の具を使って、ただただ心に浮かんでくる想いや感情に衣を纏わせるように、紙に映していく。その作業が楽しすぎて、夢中で色を探して、時間が経つのも忘れてしまいました。
自分の中を覗いていると、こんなこと思ってたのかーとか、こんなに辛かったのね、とか知らず知らず封じ込めていた感情の手触りが確かに感じられ、深い部分が癒されたような気がします。
シューマンのトロイメライにもそういう性格が感じられるし、私の大好きな小説家のよしもとばななさんも、創作はまずは自分を癒すところから入るものだと言っていたなぁ。
でも、これを職とするのはほんとに大変。あまりにも果てがなさすぎて…。
そう言う私も果てのないことをしているのですが。
体験してはじめて、周りに視点を合わせられるのですね。
これからどうしようもなくなったら絵を描こうかなと思っています。
内観は常に必要なことです。
2012.05.02 11:53|音楽
『作曲という仕事は、無から有を形づくるというよりはむしろ、すでに世界に遍在する歌や声にならない嘯きを聴きだす行為なのではないかと考えている』
今月27日に、現代音楽のコンサートで演奏する武満徹氏の「閉じた眼」。
彼の作品を演奏するのはこれが初めてではありませんが、この言葉に出会い、彼の作品に対する自分の抱く印象、またいかにそこへアプローチするかという道筋が、驚くほどぱっと開けたような気がしました。
私達は普段、五感を使って物事を認識していますが、その中でも視覚の影響力は強大です。「目を奪われる」という表現があるのもそのためでしょう。
社会に属して生きている以上、外界を無視することはできません。しかし、個々の人間はその存在そのものがミクロコスモスであり、その内側には普遍的な世界、秩序があります。その小さな宇宙の声を聴こうとする時、外の世界を映す「眼」は、極端な言い方をすれば邪魔になってしまいます。この曲は、武満氏が、オディロン・ルドンの絵画「閉じた眼」からインスピレーションを受けて書かれたものですが、その時の印象を彼はこう言っています。
『閉じた眼 と謂う言葉が、私に 開かれた耳 という言葉を聯想させたのである』
音楽以前の無限の世界の音、声を聴くために眼を閉じる。それが宇宙と協同すること、音楽とは心の奥底から滲み出た言葉にならない声であるということ…。氏がそう語りかけてくるように感じます。

ふぅ、やっと曲目解説がまとまりました。
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